アイルランドの旅: ゲール人の古都を訪ねて
アイルランド西部随一の都市、ゴールウェイには古来この地を治めたゲール人の王国の気配が今も色濃く漂っている。いうなれば、遠い昔に君主に去られた臣民が今なお国を守っている、といった感じだろうか。
この土地はかつてヨーロッパ人に知られていた旧世界の西の端に当たり、訪れる者はおのずと大西洋に背を向け、ここより東方の旧世界に思いをはせたくなる。アイルランド語と英語の2つの言語が交わるゴールウェイは、地元の劇作家による素晴らしい演劇の夕べや、地元パブでの“クラック(” アイルランド語で「楽しい会話」「楽しい時間」を意味する)なひと時を生み出す場所でもある。
ゴールウェイはアイルランドで2番目に大きい湖であるコリブ湖の一端に位置し、街の中心を湖から海へと続く細い川が流れる。そんなゴールウェイでまず最初に訪れたいのは、湖のもう一方の端だ。そこにあるのはアシュフォード城。今もなおアイルランド西部を統す べるように立つ、石造りの要塞である。
アシュフォード城
アシュフォード城(ashfordcastle.com)はコングという小村にあり、厳密にはゴールウェイ県から県境を何歩かまたいだ隣のメイヨー県に位置する。コングはジョン・フォードが監督しジョン・ウェインとモーリン・オハラが主演した、1952年のハリウッド映画『静かなる男』のロケ地として有名な村である。『静かなる男』は、アメリカ人のアイルランドに対するイメージを良くも悪くも一変させた。以来、村も城もこの映画の余韻を活用し、地元のバーPat Cohan’s Barなど、映画に登場した場所の多くがまだ残っていることを知って喜ぶ“静かなるファン”を相手に商売している。
アシュフォード城は建築的な魅力においても一流のサービスを提供する高級ホテルとしても国内トップクラスであり、それ自体が一大観光地となっている。歴史をさかのぼるとアシュフォード城の最初の構造は、1228年にこの地を侵略したノルマン人によって築かれた。現在の城の北西の角には、ノルマン人のデ・ブルゴス家が据えた石がそのまま残っている。デ・ブルゴス家は1589年にエリザベス1世が送り込んだイングランドの軍勢に城を追われ、新たな領主を迎えたこの地には、要塞化された包領が築かれた。その後、現在の城の中心部にフランスのシャトー(城館)風の構造が加わり、さらに1852年に、アイルランドの著名なビール醸造家であるベンジャミン・リー・ギネス卿が城を買い取ると、アシュフォード城一帯で現代の姿に向けた本格的な開発が始まった。
だが、アシュフォード城が今も存続しているのは一種の奇跡といえる。1916年のイースター蜂起に始まるイギリスからの分離独立を目指す戦いの間、アイルランドの城の多くは庶民の抑圧の象徴と見なされ、焼かれたり壊されたりした。なぜアシュフォード城がこうした運命をたどらずに済んだのか、地元の歴史家フィンタン・オゴーマンも未だ謎だと言う。オゴーマンはその理由を解明できそうな資料を今も探しているが、ひょっとすると、この城とアイルランドの国民的飲料──あの黒くてほろ苦い麦の酒が一役買っているのかもしれない。
1939年頃にはホテルとなっていたアシュフォード城だが、先頃5000万ドル規模の修復工事を完了し、城はかつての栄光を取り戻しただけでなく、多くの最新設備を備えることとなった。地下トンネルはソムリエ長、ポール・フォガティ監修のワインセラーに生まれ変わり、アイルランドにルーツを持つ素晴らしいワイン(P.76参照)が集められている。その中には、17世紀初頭の「伯爵の逃亡」にまでさかのぼるボトルもあるという(「伯爵の逃亡」とは、イングランド軍に敗れたアイルランドの伯爵一族が国外に亡命した歴史的出来事であり、古きゲール時代の終焉を決定付けたとしてアイルランド史では重要な意味を持つ)。さらにはホテル内ホテルとして、モダンなカントリースタイルの別館ザ・ロッジ・アット・アシュフォード・キャッスル(t hel odgeac. com)もオープン。19世紀築の館を改装したこのロッジは、家族の集まりや結婚式の会場として使うのにもうってつけだ。
全83客室にビクトリア調の家具を配したアシュフォード城に泊まれば伯爵気分が味わえる。かつて宿泊したロナルド・レーガン元大統領とエドワード・ケネディ元上院議員にちなんで名付けられたスイートルーム2室「レーガン・プレジデンシャル・スイート」と「ケネディ・スイート」 には、ジョン・レノンやブラッド・ピットなどの著名人や海外の王族が宿泊した。3つの併設レストランではそれぞれ高級料理が楽しめるが、映画『静かなる男』で使われたコテージで、歌やダンス、料理、アイリッシュウィスキーに少々のリップサービスを織り交ぜた親密な夕べを過ごすのもお勧めだ。なお、アシュフォード城には140ヘクタール超のアクティビティーエリアがあり、ゴルフコース、魚釣りができる池、クレー射撃場などが設けられている。中でも見逃せないのは、猛もうきん禽類と触れ合える鷹狩りの体験教室だ。
しかしながらアシュフォード城の本当の魅力は、アイルランドの文化や習慣について新たな発見ができることだ。アイルランドの人気スポーツ「ハーリング」について学んだり、“brilliant”や“grand”などの単語をアイルランド風の巻き舌で発音してみたり──こうして何気ない会話の中で“ラッシャー(ベーコンの薄切り)”や“ブラックプディング(豚の血を加えたソーセージ)”、“ソーダブレッド(重曹でふくらませるアイルランドのパン)”などが、あなたの語彙に加わる。玄関前の“ウェリーズ”は、ふくらはぎ丈のゴム長靴のことで、ぬかるんだ野原を歩く時に重宝する。天気はいつも雨模様だが、道行く人々を見て、この国ではまだ傘が発明されていないのかといぶかしむ必要はない。地元の人は、大西洋を渡って来る風で傘が曲がって使い物にならなくなることをよく知っている。
アシュフォード城が提供している多彩な周辺観光ツアーに参加すれば、そんなアイルランドらしさをさらに深く体感できる。地元ガイドと行くコネマラ山地への少人数ツアーは、そのハイライトだ。途中の立ち寄り先では、芸術作品のような籠を編む職人の美しい家を訪ねたり、ひっそりした入り江で牡蠣の(芸術的というよりは実用性に長けた)養殖船に乗せてもらったりすることができる。また、この国がもっと宗教に熱心だった時代に非キリスト教徒が埋葬されたという、苔むした墓地で小休憩を取るなど、アイルランドの魂の源流に触れるような機会もある。道中のタリークロス村では、1811年創業のこぢんまりしたパブPaddy Coynesで、父と息子が奏でる伝統的なアイルランド音楽を聴きながら、ギネスビールの正しい注ぎ方を学べる(1パイント=568ミリリットルを7分間かけて入れる)。この店は地元の人気店で、常連客の中には「自分が死んだら店の裏庭にお墓を建ててほしい」と言う人もいるほどだ。
ゴールウェイ
どういう手段でゴールウェイに向かうにしても、エド・シーランのヒット曲『ゴールウェイ・ガール』を聴きながらであれば、気分は自然とこの街のモードに切り替わる。音楽はこの“部族の街(City of Tribes)”の生活そのものと言っていい。ゴールウェイの人々はしばしば“部族の民”を自称するが、この呼び名は13~19世紀にかけて政治・商業を支配した14の商人一族に由来する。だから民族音楽をフィドル(バイオリン)で見事に引きこなす少女を見かけても、驚くなかれ。この他、ゴールウェイはアイルランド版ケンタッキーダービー、ゴールウェイ・レース(galwayraces.com)の開催地としても知られている(毎年8月)。
ゴールウェイ観光の拠点として最も便利な高級ホテルは、ザ・ガルモント・ホテル・アンド・スパ(thegalmont.com)だ。275客室のモダンなホテルで、受賞歴のあるスパ、地元産の食材(つまりはふんだんな魚介類)を提供する雰囲気の良いレストランがある。だがこのホテルの売りは何と言っても、ゴールウェイ屈指の繁華街・ラテン・クオーター地区に近いことだろう。ラテン・クオーター地区は、中世の時代にこの地区で暮らした学者の共通言語がラテン語だったことから名付けられた。石畳の通りにさまざまなショップやレストラン、パブが並び、至る所で大道芸人の姿を見かける。そんなラテン・クオーター地区で外せない名所といえば、老舗書店のCharlie Byrne’s Bookshop(charliebyrne.ie)だ。常時10万冊を超える古本と新刊を扱い、W.B.イェイツなどアイルランドの著名な文豪から現代の人気作家まで、店員が喜んでお薦めを教えてくれる。Weavers of Ireland(weaversofireland.com)は数ある毛織物専門店の一つで、マフラーやセーターをはじめ、アイルランドの羊毛で作れるものなら何でもそろう。また、チョコレート店のHazel Mountain Chocolate(hazelmountainchocolate.com)では、近郊のバレン高原にある工房の見学ツアーを行っている。宝飾店のCladdagh Jewelers(thecladdagh.com)には、アイルランドの伝統デザインをモチーフにした指輪やネックレスが並ぶ。一番人気は王冠をかぶったハートを両手が包み込んでいるデザインで、ハートの下(先端部分)を下向きにして指輪をはめると、その人のハートは“奪われている(恋人がいる)”ことを、また逆向きにはめると、その人のハートは“ 手に入る(シングルである)”ことを意味する。アイルランド音楽の生演奏が毎晩聴けるようなパブでは、このサインが役に立つかもしれない。そういったパブで最近、真っ先に名前が挙がるのは、数年前にこの地を訪れたウィリアム王子とキャサリン妃が乾杯のグラスを掲げたTig Choili(tigchoiligalway.com)だろう。
晴れた日はラテン・クオーター地区の端まで歩き、港に面した遊歩道「ザ・ロング・ウォーク」をそぞろ歩こう。または、赤い帆が特徴の伝統木造帆船「ゴールウェイ・フッカー」に乗るという選択肢もある。ツアー会社Galway Bay Boat Tours(galwaybaytours.com)はこの木造帆船でのボートツアーを主催しており、引率するキアラン・オリバーが船上でこの地方に伝わる妖精や幽霊船の話をしてくれる。天気が良い日に船に乗れば、遠くに石だらけのアラン諸島(aranislands.ie)が見える。アラン諸島へ行くなら、3つの島をフェリーで巡る日帰り、または1泊のツアーがホテル経由で予約できるが、個別で行く場合はスイートルーム5室の高級ペンション、イニシュマン・レストラン・アンド・スイーツ(inismeain.com)での宿泊がお勧めだ。このペンションの修道院を彷彿とさせる佇まいと隔絶感には、何物にも代えがたい魅力がある。
ゴールウェイへのアクセス方法としては、最寄りのシャノン空港への定期運航便が最も多い国営航空会社、エアリンガス(aerlingus.com)のフライトを利用するのが手軽だ。「ゴールウェイを訪れた人は皆、帰る前からもう次に来る時のことを話すのです」と、あるゴールウェイ住人は言う。去る前から恋しくなってしまう、それがゴールウェイという街なのだ。