Le Commandant Charcot

極地を巡る豪華客船

氷河を砕きながら進む、世界初の“砕氷豪華客船”で北極や南極の海域を巡る極地クルーズへ出かけよう

By Frank Vizard

ICE BREAKER

フランス船籍の豪華客船「ル・コマンダン・シャルコー」号(以降、「シャルコー」号)で極地の海を航行する時には、まるで家屋が押しつぶされるような音が聞こえてくるかもしれない。でも心配は無用だ。それはこの世界初の“砕氷機能を備えた豪華客船”が、巨大な氷河を砕きながら進んで行っている音なのだ。「シャルコー」号により、以前は難しかった北極や南極の海域を巡る「極地クルーズ」という船旅が開拓された。この船はそのラグジュアリーさにかけても一般の豪華客船を上回っていると言えるが、同時に、科学担当官が常駐する世界初のクルーズ船という顔も持つ。さらには軽油ではなく、主に液化天然ガスとバッテリーの電力で駆動する初の極地探査船であり、今後の造船のモデルにもなるような優れた環境性能も誇る。 他に類を見ない砕氷豪華客船「シャルコー」号は、氷に覆われた東グリーンランド沿岸で処女航海を行い、その砕氷能力を示してみせた。とはいえ、砕氷船自体、あまりお目にかからないタイプの船である。アメリカにも沿岸警備隊が保有する2隻しかない。そんな稀有な存在のため、北極圏で生活するホッキョクグマやアザラシが、この“ 珍客”を見て驚くことも少なくない。実際、イヌイットの人々も、これまでは氷が溶ける季節まで船を目にすることはなかった。 東グリーンランドエリアを周遊する「シャルコー」号のクルーズでは、アイスランドのレイキャビクを出港した数時間後に、クジラが姿を現した。その噴き上げる潮は、船がいよいよ北極の海域に入ったことを告げてくれていたのだろうか。 その後、12日後にノルウェー領のスバールバル諸島に到着するまで、1隻の船も見ることはなかった。

The Bow

Relaxation Area and Detox Bar

Prestige Suite

Nuna, an Alain Ducasse restaurant

ラグジュアリーな冒険の旅

ル・コマンダン・シャルコーという船名は、フランスの極地探検家で、東グリーンランドを踏査したジャン=バティスト・シャルコーにちなんで付けられたものだ。船は2021年に完成し、建造費は3億2400万ドル(約480億円)に上ったという。

砕氷機能を持つ「シャルコー」号なら、他の船が進めない場所にも自由に進んで行ける。そして他の船がまだ近付けないような時期に、極地にたどり着く。しかもその旅は、古今の探検家が聞けば羨むに違いないほど贅を極めたものだ。客室の調度品はバルコニー越しに見える外の景色を眺められるように配されており、一日中日が沈まない北極での航海に備えて厚いカーテンがかけられている。そして「シャルコー」号が氷を砕きながら航行していく間は、乗組員の居住エリアや9つあるデッキの方から独特の振動音が聞こえる。船内の高級レストランNunaでは、三つ星シェフのアラン・デュカスが監修する極上のフレンチを堪能できる。いくつもの店舗をかまえるデュカスも、船上の店舗はNunaが初という。そんな貴重なロケーションでデュカスの料理を味わえるだけでも、このクルーズに参加する意義があるかもしれない。展望デッキにあるSilaはカジュアルダイニングで、どちらのレストランでも、フランス産ワインが追加料金なしで提供される。船内にはこの他、スパ、ジム、プール、娯楽ルーム、シガーバー、図書室といった施設を併設。船をぐるりと囲むプロムナードデッキには所々に望遠鏡と暖房ベンチが置かれており、外気温がほぼ常に氷点下の東グリーンランドでは、ここが氷の世界を眺める特等席になりそうだ。客室数123室に対して乗客は245人と、適度な距離感が保てる定員設定なのもうれしい。そして乗客の人数に近い215人の乗組員が、快適な船旅をサポートする。

Zodiac cruise

Polar bears

Weddell seal

環境に配慮したクルーズ

行き届いたサービス、ラグジュアリーな空間、充実した施設、究極の目的地――これだけでも十分素晴らしいが、「シャルコー」号の最大の魅力は船体そのものにあるとも言える。全長約150メートル、マイナス25度の気温でも航行できるよう特別設計されたこの豪華客船は、客船としては世界で初めて、中程度の多年氷がある海域を年間を通じて航行できる「ポーラークラ ス(PC)2」の耐氷能力を有する。砕氷のため船殻は二重構造になっており、厚さ2. 5メートルの流氷や15メートルもの高さの氷壁も砕いて進 む。また、船尾にブリッジ(指揮所)が設けられているため、厚い氷に入り込んだ場合も抜け出すのが容易だ。その際は、必要に応じて電気推進システム「アジポッド」のプロペラが水中でアシストする。 「シャルコー」号は氷などの障害がない海域では最高時速約27キロで巡航する。使用する燃料は液化天然ガスで、搭載する大容量バッテリーに電気を蓄えられるという点も、豪華客船としては画期的だ。そのおかげでこの船は最長2カ月間、エネルギーを一切補給せずに極地を航行し続けられる。液化天然ガスと電気のハイブリッド推進システムにより、二酸化炭素の排出量をディーゼル船よりも25%抑制。 1〜2時間、電気だけで動くことも可能だ。その間は排出量がゼロになるため、環境上、特に慎重な配慮が求められるエリアを通航する際に役立つ。また、このモードではエンジン音を抑えられることから、野生動物を怖がらせずに済むという副産物もある。ホッキョクグマのすぐそばまで、そろそろと近付いて行けるのだから素晴らしい。

Kayaking

氷の百科事典

北極は“氷の百科事典”だ――もちろん最初はただ一面に広大な氷原が広がっているだけに見えるかもしれない。しかししばらく観察していると、氷にもさまざまな種類や形があることに気付く。淡水由来の氷河 ( glacier)の一端が分離してできるのが氷山(iceberg )で、その周りには海氷(sea ice)が浮かんでいるかもしれない。海氷は海水がマイナス2度前後になるとできる。そして古い海氷は、青や緑がかり、神秘的な雰囲気をたたえている。「シャルコー」号が航行中に出くわすのも大半が海氷だ。海氷は発達過程や表面の特徴などによっていろいろな名前が付けられていて、例えば新しくできたばかりの薄い海氷は氷晶(frazil ice)と呼ばれる。鳥ならなんとか乗れるというくらいの、まだ壊れやすい膜のような氷だ。 それがだんだん厚くなってくると流氷(pack ice)と呼ばれるようになり、流氷と開水域との境界を氷縁(ice edge)という。端がめく れ上がったような円形の流氷は蓮葉氷(pancake ice)と呼ばれる。 流氷が圧力によって押し上げられ、砕けてできる氷丘(hummock) はかなり大きなものも多く、航行の妨げになる場合もある。漂流する非常に硬い氷である氷山片(bergy bit)や氷岩(growler)もそうで、こちらは氷丘よりも小さい分、見付けるのが困難なこともある。 なお、「シャルコー」号の船体横には棒状のゲージが取り付けられており、氷の厚さがブリッジから簡単に測定できるようになっている。 「シャルコー」号の場合、先に大きな氷があると分かっても、それをいつも避けるわけではない。逆に、十分な広さと厚みのある氷盤 (ice floe)を探し、そこに乗客を降ろしてハイキングを楽しむこともある。経験豊富なガイドに導かれ、氷の上を散策するのは爽快だ。 もう少し氷の少ないエリアでは、カヤックなども体験できる。そして 「シャルコー」号にはこうした船外アクティビティー用に、防寒着やライフジャケット、膝丈のブーツなどが用意されている。

Dog sledding

“地球最北”の町へ

グリーンランドではイヌイットの小さな村、イトコルトルミットに も立ち寄る。人口254人のこの村は、グリーンランド東海岸に2つしかない集落の1つで、氷盤に覆われたブロスビル海岸沿いを北上し、世界最長のフィヨルドで知られるスコアズビー 湾を少し入った所にある。「シャルコー」号 が訪れる時期はスコアズビー湾もやはり 氷に覆われているため、氷を砕きながら岸に近い所まで進んで行き、そこから先は陸地まで犬ぞりで運んでもらう。ここで観察眼の鋭い人は、犬の隊列が想像していたものと違うことに気付くかもしれない。犬ぞりの犬は普通、2頭1組で縦に隊列を組むものだが、グリーンランドでは横方向にやや膨らんだ配置になっている。その理由 は、1頭がクレバスに落ちてしまっても、他の犬やそりが引きずられて落下するのを防ぐためだ。 ホッキョクグマの姿が確認されると、 「シャルコー」号にとってそれはいつでも、また一日のどんな時間帯であっても、予定外の停船の理由――ホッキョクグマウォッチングの時間になる。なお、ホッキョクグマの推定個体数は現在、北極圏全体で、約2万6000頭しかいない。それ以外の停船は、ランダムなように見えても実はスケジュール通りだ。東グリーンランド一帯を巡る旅には、科学者ダニエル・クロンが率いる科学研究チームが同乗する。「シャ ルコー」号が時々止まるのは、彼らがその海域で有害な藻類や酸素濃度、マイクロプラスチック汚染などの検査をするためだ。「シャルコー」号はこれから毎年、東グ リーンランドへの航海を行うため、長期にわたって記録が蓄積されていくことになる。 北極圏の気候変動に関するデータは現状では非常に少ないだけに、重要な取り組みと言えるだろう。北極圏では温暖化に伴う 海氷の喪失によって、気候変動が他の地域より急速に進んでいるというのが、科学者のほぼ一致した見解だ。 「ラグジュアリークルーズと聞いて科学を連想する人はまずいないでしょう」とクロンは言う。「こうした船は今までなかったわけですから」。「シャルコー」号の船内には最先端の設備を備えた研究施設が複数併設されており、これらは後付けでなく建造プランに当初から組み込まれていたものだ。 「私たちがここで発見したことは、後世に役立つ貴重なデータとなるでしょう」。 最近特に大きな議論を巻き起こしている問題がマイクロプラスチック汚染だ。毎年、大量のマイクロプラスチックが海洋に流れ込んでいることは科学者も把握しているが、ドイツのヘルムホルツ海洋研究センターの研究員で「シャルコー」号内に研究施設を持つアーロン・ベックは「情報があまりにも少ないため、発生箇所の95%が不明」だと言う。「データが増えれば、もっとはっきりした事実が分かるはずです」。同乗している科学者らは折に触れて船内で報告会を開き、調査結果などを乗客に伝える。今のところ東グリーンランド沿岸ではマイクロプラスチック汚染は見られ ないようだが、そこからさらに北東に進んだ寄港地、スバールバル諸島の周辺になると、 事情が変わってくる。この辺りの海域では船の往来や南からの暖流によって汚染が進み、海水温もやや暖かく、4℃前後になる。 北極点とノルウェーの中間あたりに位置するスバールバル諸島は、昔は無主地と見なされていたが、後にノルウェーの統治下に置かれ、現在は51カ国出身の約2400人が暮らしている。人間の居住地としては最北の地の一つに数えられ、諸島内には人よりもホッキョクグマの方が多い。この並外れた辺境ぶりから、地球上の農作物の種子を集めて冷凍保存する「世界種子貯蔵 庫」の設置場所に選ばれたほどだ。もっとも「シャルコー」号の乗客にとっては、アイスランドを出港して初めて他の船を目にする場所であり、そんな過疎地でも“にぎわい” を感じるかもしれない。「シャルコー」号はこのスバールバル諸島にあるマグダレナフィヨルドの氷河を訪れるピクニックに向け、 ここでいったん停泊。乗客は高性能ゴムボートで氷河に向かい、息をのむような美し い景色の中を散策する。翌日はさらに2つ のフィヨルドを訪れ、スピッツベルゲン島の町、ロングイェールビーンに寄港する。そし てこの町が、「シャルコー」号による東グリー ンランドクルーズの最終目的地となる。 ロングイェールビーンには、定期便が就 航している世界最北の空港もある。そし て不凍港に停泊した「シャルコー」号は、次の目的地に向けて燃料を補給する。展望 デッキではそんな氷のない港を眺めながら、 北極圏に幾度か訪れたと思われる乗客2人がこんな言葉を交わしていた。 「もう氷が懐かしいよ」。 「本当に。いつ来てもそう感じるよ」。ponant.com